知らない街に行ったとき、一番重要なのは、その街の匂い、場所から場所へ、わたしは浮遊する、空気を一斉にわたしの胸に送り込みながら。
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彼女は夢の男と一緒にいる。今まで見たことが無いような夢、すごすぎて夢になんて見れなかったような、そんな夢。通りで、彼女はその男と手をつないでいる。彼女は指に触れるのが好きだ。一本一本、彼女は触れる、彼女の小さな魂たちにしっかり繋ぎ合わされた、未知の骨の筋を一本一本。彼女の左側の、細くて短い魂を、彼がぎゅっと握りつぶしたとき、彼女は心臓のざわめきを感じる。それで彼女は彼の指先の硬さに触れはじめ、その一本を口にやり、カリッとした部分を感じてみる。彼女は眼を閉じる。ふたりともまだ通りを歩いている。向かう場所はない。家以外には、どこにも行けない。そして家はそこにない。通りが一本あるだけだ。その通りを、彼らは歩き続ける、彼女は眼を閉じたまま。視力を失えば、もっと街の匂いを感じることができる、と彼女は言う。彼女は一時的に視力を失う。彼女は知らない街に行くと、いつでもそうするのだ。躓くのが怖い、と彼女は感じる。それは文字通りでもあるし、比喩的にでもある。空間を突き進むにつれて、雲たちが一斉に彼女の脳を取り囲む、と彼女は思う。彼女の脳だけがそこに存在する。彼の左手とつながっている彼女の右手は、身体から切り離されているようだ。2つの血だけが、それぞれ混じり合い交換されていく。彼女は血の流れを想像する。ふたすじの急流がぶつかり合い、彼女の頭のなかにざぶんと音をたてる。もしかしたら、と彼女は思う、それはただの胸の高鳴りなのかもしれない。たぶん。眼を閉じたまま、彼をうかがう。彼の顔のあたりに首をかしげ、そこにある、と想像する。たしかにそれはそこにある。彼の素晴らしいあごひげを触って、彼女はそれを確信する。ちょっとのあいだ、彼女は自分の右手を、彼の左手から離さなくてはいけない。彼女は右手で彼のあごひげを触っている。手と手が離れる瞬間のちょっとした恐怖を彼女は感じる。指先で、彼のちくちくするひげに触れる前の、ちょっとした瞬間。若者たちであふれるバーから、ネオンの灯りが差し込む。空が明るい。若者たちは芸術家だ。若者たちは彼の友達だ。街をさまよい歩く前にお酒を飲んだバーでついた、煙草の残り香を感じる。キューバリブレを注文した。そのお酒を飲んだとき、彼女はキューバで過ごした日々のことをおもいだした。彼女の夢の男―素晴らしいあごひげをはやし、革命への情熱と、文学への愛をしたためた男ーがそこで眠っている。彼女は彼にくちづけをした。彼の唇は冷たかった。彼の唇は銅でできていた。サンタクララの空は青く、彼の唇は銅製だった。彼女は唇で、キューバリブレの入ったグラスに触れる。唇は、やはり冷たかった。キューバの冷たい唇。彼女が今いる街の冷たい唇。彼女は彼に言う、「どこへでも連れて行って。怖くないから大丈夫。目が見えなくなっても、この街の匂いを感じて、あなたと一生一緒にいる。」奇妙な大胆さが心のなかに生まれるのを、彼女は感じる。彼女にはわかっている、この街が与えてくれる、ロマンスに酔っているのだと。彼のジャケットについた煙草の匂いと、彼女の息から湧きだす、くらくらするような香り。最高だ、と彼女は思う。彼に導かれ、彼女の足どりは軽やかだ。手のなかに、彼の力強い骨を感じたときに、彼女の顔からほほ笑みがちらつくのが見える。彼女は道の上に転がる石ころを感じ、それをちょっと蹴ってみる。下に広がる世界に、投げキスをするみたいな気軽さで。通りに出た人々は、グラスを片手にビールをすすっている。彼らは彼女を見つけ、彼女の目が閉じられているのに気づく。柔らかく閉じられた彼女の眼に、彼らは自分たちの夢が戻りつつあるのを見とめる。青白い彼女のまぶたの上に、街灯がちらちらと降り注ぐ。彼らは自分たちの夢をみる。彼らは眼を閉じる。彼らは街の匂いを嗅ぐ。今まで嗅いだことがなかった、自分の街の匂い。煙草の匂いと、長く忘れられていた自分たちのロマンスの香り。「夜はやさし」、彼女はつぶやく。彼の唇を、自分にの唇で受け止めながら。





